「この相手でいいのか、まだ分からないんです」——条件がすべて整った日に、社長の気持ちが止まる理由

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西田 幸広 弁護士

監修者:弁護士 西田幸広

法律事務所Si-Law代表 / 熊本県八代市出身 / 熊本を中心に企業法務支援

会社を次に渡す話は、条件が合わないときに止まると思われています。価格が折り合わない、相手が見つからない、銀行の了解が取れない。たしかにそれで止まる話は多いです。

ただ、実は、条件がすべて整った日に止まることがあります。相手も決まり、金額も決まり、あとは署名だけという段階で、いちばん前向きだった社長が「もう少し慎重に進めたい」と言い出す。

これは気が変わったのではありません。会社を手放す人のほとんどが通る道です。この記事では、県外で承継の支援をしている方から聞いた一件を手がかりに、なぜこの時期に気持ちが止まるのか、止まったときに何をすれば話が壊れずに済むのかを、弁護士の視点で整理します。

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条件はすべて整っていた。それでも、社長は止まった

年配の経営者と若い経営者が応接室で向かい合って話している様子

県外で承継の支援をしている方から、こんな話を聞きました。社員が数名の、建設関係の会社です。

社長は実直な人柄で、前の職場で築いた人脈から仕事を取ってきました。外注先の職人にとっては、仕事を回してくれる中心にいる人でもありました。小さな会社ですが、社長がいるから成り立っていた会社です。

お子さんはいましたが、いずれも県外に出ていて、会社を継ぐ話にはなりませんでした。社長は七十代に入り、自分の代で終わらせるのか、外の誰かに渡すのかを考え始めます。

相談を受けた支援者が会社を案件化し、相手を探し始めてから二年近く。何社かと社長同士の面談をしましたが、条件が合わずに前に進みませんでした。

そんな中で、紹介を受けた一社と面談が実現します。まったくの同業ではないものの隣接する業種で、歴史のある会社の若い社長でした。前のやり方に固執せず、自分の代で会社を伸ばしてきた人でした。

面談のあと、社長も奥様も相手の人柄にとても良い印象を持ちました。相手が語った承継後の構想を聞いて、社長は「私も若ければ、同じような挑戦をしたかった」と応じたそうです。別れ際には、長く動いてくれた支援者に「ご苦労をかけました」という言葉までかけています。

相手からは、買う意思を示す書面が出され、年が明けたら最終の合意をしたいという申し出まで届きました。条件面で詰まるところは、もう残っていませんでした。

ところが、それから一週間ほど経って、あれほど喜んでいた社長から連絡が入ります。

「もう少し慎重に話を進めたい。場合によっては、この話が流れても仕方ないと思っている」

相手が見つかるまでに、二年かかっている

この流れを読んで、順番を取り違えないでいただきたいところがあります。社長は、思いつきで売ろうとしたのではありません。

考え始めてから相手が決まるまでに、二年近くかかっています。その間、何社かと面談をして、そのたびに条件が合わずに戻ってきています。小さな会社の承継では、これは珍しい期間ではありません。

つまり社長は、二年かけて少しずつ覚悟を固めてきたはずなのです。それでも、いざ決まる直前になると止まる。覚悟が足りなかったという話ではありません。

むしろ、相手が決まるまでは覚悟の中身が抽象的でいられた、ということだと思います。「いつか、どこかの誰かに」であれば、社長は冷静に考えられます。「来月、この人に」になった瞬間に、話が自分の生活の話になります。

だから、この止まり方は準備不足の結果ではなく、準備が実を結んだ結果として起きます。支援する側がここを取り違えると、「あれだけ時間をかけたのに」という責める気持ちが声に出てしまいます。

これは「気が変わった」のではない

この連絡を受けた支援者は、驚いていません。小規模な会社の承継に何度も立ち会っていると、この場面は必ず来ると分かっているからです。

条件が整った直前に、譲る側の気持ちが止まる。これを、承継の現場では結婚前の迷いになぞらえて呼ぶことがあります。言葉は軽いのですが、起きていることは軽くありません。

大きな会社同士の取引なら、こうはなりません。経営資源を金額に置き換えて、投資として判断するからです。判断の基準が数字にあるので、数字が合えば前に進みます。

小さな会社は違います。社長にとって会社は投資先ではなく、自分が過ごしてきた時間そのものです。取引先との関係も、職人とのやり取りも、社長個人の信用の上に乗っています。それを他人に渡すという話は、資産の処分ではなく、生き方の区切りの話になります。

だから、条件が整うほど迷いは強くなります。条件が整わないうちは「まだ決める段階ではない」と思っていられますが、整ってしまうと、決めるしかなくなるからです。

良い相手に出会えたときほど、迷いは深くなる

この一件で、もうひとつ見落とせないことがあります。社長が止まったのは、相手に不満を持ったからではありません。相手をとても気に入ったあとに止まっています。

これは、承継のご相談をお受けしていると何度も出てくる形です。相手が良いと、その相手に自分の会社を評価されることになります。渡したあと、この人なら自分より上手にやるかもしれない。そう思った瞬間に、自分がやってきた数十年は何だったのかという問いが立ち上がります。

相手が頼りなければ、社長は「自分がまだやるしかない」と納得して断れます。相手が立派だと、断る理由が自分の中にしか見つからない。だから苦しくなります。

つまり、この迷いは話がうまく進んだ証でもあります。ここで「せっかくいい相手なのに」と焦ると、かえって壊れます。

「売る」という言葉が、引っかかっている場合もある

細かいようですが、言葉の問題も見ておく価値があります。社長が止まるとき、「売る」という言い方自体に抵抗していることがあります。

自分が育ててきた会社と、そこで働いている人たちを、金額で引き渡す。そう言われると、受け入れられない方は少なくありません。実際にやっていることは同じでも、言葉の収まりが悪いと、気持ちが前に出ません。

だから、お話をするときは「次に渡す」「引き継いでもらう」という言い方で進めます。これは言い換えの技術ではなく、起きていることの説明として、そちらが正確だからです。

会社の株式を譲るという形をとっても、渡っているのは株式だけではありません。取引先との関係、職人とのつながり、社員の生活、積み上げた信用。買う側も、そこを買っています。

この見方に立てると、社長は「手放す人」ではなく「渡す人」になります。役割が残るので、迷いの置きどころが変わります。

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迷いが強くなるのは、戻れない場所に近づいたとき

気持ちの問題だけではありません。手続きの段階が進んだことも、迷いを押し上げています。

承継の手続きは、おおまかに言えば、話を聞く段階、買う意思を示す書面が出る段階、大枠を合意する書面を結ぶ段階、会社の中身を調べる段階、最終の契約を結ぶ段階という順に進みます。

社長の実感としては、どの段階も「話し合い」です。ところが書面の重さは、段階ごとに変わっていきます。ここを正確に伝えていないと、社長は自分がどこまで縛られたのかが分からなくなり、不安だけが膨らみます。

この一件で社長が「流れても仕方ない」と言ったのは、裏を返せば「もう引き返せないのではないか」という怖さの表れだと思います。

意思を示す書面と、最終の契約は重さが違う

一般には、買う意思を示す書面は、価格や進め方の考えを伝えるものとして、法的な拘束力を持たせない前提で出されることが多いとされています。もっとも、拘束力があるかどうかは書面の文言と当事者の合意の仕方によって決まるので、形式的な名称だけで判断はできません。

大枠を合意する書面は、中身が分かれます。価格や進め方の部分は確定ではない扱いにしつつ、一定期間は他の相手と交渉しないという約束や、秘密を守る約束、費用の負担については拘束力を持たせるのが一般的です。

そして、譲る義務・受け取る義務が実際に生まれるのは、最終の契約です。ここに署名するまでは、独占して交渉する約束などを除けば、原則として「やめる」という選択は残っています。

ただし、やめることに費用や信頼の負担が伴わないわけではありません。相手が調査に費用をかけていれば、その分の扱いが問題になることもあります。だからこそ、どの書面で何がどこまで決まるのかを、署名の前に一度紙に書いて確認しておくことが大事です。

この整理は、関連する指針の考え方も含めて別の記事でまとめています。あわせて読んでみてください。事業承継ガイドラインとは?3つの柱・5つの手順と法的拘束力・関連ガイドラインとの関係を弁護士が解説!

なお、制度や指針の内容は見直されることがあるため、最新の要件はその時点でご確認ください。

止まった社長に、やってはいけない三つのこと

さて、社長が止まりました。支援する側が、ここでどう動くか。実は、この一週間の対応で結果が決まります。

やってはいけないことが、三つあります。

一つ目は、急かすことです。「相手が待っています」「この条件は今しか出ません」と期限で押すと、社長は自分の迷いが邪魔者として扱われたと受け取ります。そうなると、本音を言わなくなります。

二つ目は、説得することです。迷いの理由を論破しても、迷いは消えません。むしろ「この人は会社を売りたいだけだ」という不信に変わります。小さな会社の承継で、支援する側が売る側の信用を失うと、もう立て直せません。

三つ目は、放っておくことです。これがいちばん多い失敗です。社長が止まったので、落ち着くまで連絡を控える。善意のつもりでも、空白は必ず悪い方に埋まります。

空白をつくると、迷いは不信に変わる

連絡が途切れている間、社長は何をしているか。考えています。そして、考える材料が自分の不安しかないので、不安が事実の形に育っていきます。

「返事が来ないのは、こちらの迷いに呆れたからだろう」「相手はもう他を探しているのではないか」。相手側も同じことをしています。「売る気がなくなったのだろう」。どちらも事実ではないのに、どちらも確信になります。

承継の話が壊れるとき、原因が条件の不一致であることは意外に少なく、連絡の空白であることが多いです。この点は、別の記事で一件を追って書きました。あんなに前向きだった社長が、なぜ一転して「断る」と言ったのか|事業承継が沈黙で壊れるとき

では何をするか。進める話をせずに、連絡だけを保ちます。「決めなくていい」と伝えたうえで、迷っている中身を聞かせてもらう。順番はこれだけです。

決めなくていいと言われて初めて、社長は自分の迷いを言葉にできます。急かされている間は、迷いを言うこと自体が裏切りのように感じられるからです。

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迷いの中身を、三つに分けて置き直す

「決められない」を相手への不安・自分への問い・周りへの不安の三つに分けて整理した図

聞かせてもらった迷いは、たいてい混ざっています。ひとかたまりの不安として語られるので、ご本人も何が怖いのか分かっていません。

ここで支援する側が手を貸せることは、評価や説得ではなく、分けることです。迷いはおおむね三つに分かれます。

一つは相手への不安です。この人に託して、社員や取引先は本当に大丈夫なのか。二つ目は自分への問いです。自分はこれから何をする人になるのか。三つ目は周りへの不安です。社員、家族、取引先、地域に、どう説明すればいいのか。

分けてみると、性質がまるで違うことが分かります。相手への不安は、確かめれば減ります。周りへの不安は、段取りを決めれば減ります。ところが自分への問いは、確かめても段取りを決めても減りません。これは答えの出し方が違う問いです。

混ざったままだと、答えの出る二つまで「答えが出ない話」として扱われてしまいます。だから分けます。分けると、少なくとも二つは前に進みます。

そして残った一つについては、答えを出さないまま進めてよいのだとお伝えしています。会社を渡したあと自分が何者であるかは、渡す前には決まりません。渡したあとに、ご本人が後から見つけていかれるものです。

相手への不安は、聞けば減る

三つのうち、いちばん手を付けやすいのは相手への不安です。これは確かめれば減ります。確かめていないから不安なのです。

聞いておきたいことは、だいたい決まっています。承継したあと、この事業をどう位置づけるつもりなのか。既にやっている事業と、どう組み合わせる考えなのか。設備や人に、どのくらい投資する計画があるのか。

それから、資金の出どころです。自己資金か、借入か、借入ならどの金融機関と話が進んでいるのか。ここが曖昧なまま最終の契約まで行くと、決済の日に資金が揃わないという事故が起き得ます。

従業員のことも、具体的に聞きます。役職や給与をどうするつもりか、評価の仕組みを入れ替えるつもりがあるか、拠点を動かす考えはあるか。「大事にします」で止めず、やることの形で聞きます。

そして、社長自身に何を期待しているのか。しばらく残ってほしいのか、すぐ離れてほしいのか。ここがずれていると、渡したあとに両方が不満を持ちます。

こうした質問は、失礼にはあたりません。買う側も、売る側に同じくらい細かいことを聞いています。聞き返さないほうが不自然です。

周りへの不安は、順番を決めれば減る

三つ目の、周りへの不安も手が付きます。これは誰に、いつ、何を伝えるかという段取りの問題だからです。

社長が怖いのは、伝え方を間違えて社員が辞めることです。これは実際に起こり得ることなので、怖がるのが正しいです。ただ、怖がって黙っていると、噂のほうが先に回ります。

一般には、最終の契約の見通しが立つまでは範囲を絞り、見通しが立った段階で、社長の口から社員に直接伝えるのが落ち着きます。順番と言葉を先に決めておくと、迷いの大きな部分が消えます。

取引先への説明も同じです。先に伝えるべき相手と、後でよい相手を分けて、誰が同席するかまで決めておきます。段取りが紙になっていれば、社長は当日に悩みません。

この三つを分けて並べると、「答えの出ないひとかたまりの不安」が、「今日聞けること」「来月決めること」「急がなくてよいこと」に変わります。

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熊本の県南で、この迷いが出やすい会社

この迷いは、どの地域でも起きます。ただ、出やすい会社の形というものがあります。

一つは、社長個人の信用で仕事が回っている会社です。熊本県南の建設業や製造業、運送業では、見積もりの前に電話一本で仕事が決まる関係が珍しくありません。契約書より先に人間関係があります。

こういう会社の社長は、自分が抜けたあとの会社を想像すると、受注が消える絵が浮かびます。だから渡す決断がしにくい。買い手も同じ心配をしているので、ここは双方にとっての山場です。

もう一つは、地域での顔が会社と一体になっている会社です。組合、消防団、同級生が社長をしている取引先。会社を渡すという話は、その地域の中で自分の立ち位置が変わるという話にもなります。都市部よりも、この重さは確実に大きいです。

そして、八代や人吉、水俣のように同業者の数が限られている地域では、話が漏れることへの恐れが加わります。「検討している」という段階の情報が回ると、取引先や従業員に動揺が走る。だから社長は誰にも相談できず、迷いを一人で抱えます。

県南でご相談をお受けするときに、まずお伝えしているのは、いまのこの段階は誰にも言わなくてよい段階だということです。情報を出す順番と範囲を決めるのは、承継の作業そのものの一部です。

受注が社長に付いている会社で、できる備え

受注が社長個人に付いている会社でも、備えようがないわけではありません。やれることは、地味ですが効きます。

まず、主要な取引先ごとに、誰とどういう経緯でつながっているのかを書き出します。社長の頭の中にしかない関係を、紙に出すだけで、買い手に見える資産になります。

次に、社長が渡したあと、どのくらいの期間、どういう立場で残るのかを決めます。一定期間は顧問や社員として残って紹介を済ませるのか、完全に離れるのか。これは価格にも、契約の書き方にも関わります。

一般には、残る期間、何をするか、報酬はどうするかを文章にしておかないと、後から「そこまで聞いていない」という食い違いになります。口約束で済ませないところです。

こうした整理は、話がまとまらなかったとしても会社の中に残ります。やって損になりません。動き出す時期の考え方は、事業承継の最適なタイミングは?年齢別の目安と専門家に相談する時期・動くべきサインも解説!でも整理しています。

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迷いの一部は、契約書の書き方で消える

気持ちの話をしてきましたが、ここからは弁護士の仕事の話です。迷いの中には、契約の書き方で実際に消えるものがあります。

社長が怖がっているのは、たいてい渡したあとのことです。社員の給料が下げられないか、長年の取引先が切られないか、会社の名前が消えないか。どれも「相手を信じるかどうか」の問題に見えますが、信じる以外の方法があります。

書いておけばよいのです。従業員の雇用と労働条件を一定期間維持すること、商号や屋号を続けて使うこと、主要な取引先との関係について配慮すること。こうした内容を最終の契約に入れることは、交渉次第で十分にあり得ます。

もちろん、約束の重さには幅があります。努力する旨を書くだけのものと、守らなかったときの扱いまで書くものでは、効き方が違います。どこまで書けるかは相手との力関係と事情によりますが、入れようとしなければ入りません。

逆に、渡す側が気をつけるべき条項もあります。会社の状態について真実であることを保証し、違っていたら金銭で埋める約束、譲ったあと同じ商売をしない約束、価格の一部を後払いにする仕組み。いずれも、渡したあとに社長個人に負担が残る可能性のある部分です。

迷っている社長に「大丈夫ですよ」と言うのは簡単ですが、何も変わりません。契約の文面を一行変えることのほうが、はるかに安心につながります。

「社員さえ大事にしてもらえるなら」で止めない

迷いの場面で、社長がよく口にする言葉があります。「金額は我慢します。社員さえ大事にしてもらえるなら」。

気持ちはよく分かります。ただ、この言い方のままにしておくと、二つの問題が残ります。

一つは、大事にするという言葉の中身が決まっていないことです。給料を維持するのか、人を減らさないのか、働く場所を変えないのか。人によって思い浮かべるものが違います。

もう一つは、価格を下げたこと自体が後で重くなることです。社長の手元に残る額は、引退後の生活と、会社に残る保証債務の整理にそのまま響きます。

この点は一本の記事にしています。「金額は我慢します。社員さえ大事にしてもらえるなら」——その一言が、数年後にいちばん重い後悔になる

迷っているときは、譲れるものを多めに申し出てしまいがちです。だから迷いの最中に条件を動かさない。これは実務上の大事な線です。

保証債務は、契約書に書くだけでは消えない

渡したあとの不安として、意外に見落とされがちなのが、社長個人が負っている保証です。会社の借入に社長が個人で保証を付けている会社は、熊本の中小企業でも珍しくありません。

ここで気をつけたいのは、会社を渡す契約の中で「保証は買う側が引き受ける」と書いても、それだけでは金融機関に対する社長の保証が消えるわけではないという点です。

保証をやめるには、一般には、保証をしている相手である金融機関との間で手続きが必要になります。当事者同士の契約は、当事者の間での約束にとどまります。

ですから、承継の段取りを組むときは、金融機関への説明と手続きを工程の中に入れておきます。最終の契約の日に合わせて動かすのか、その前に話を通しておくのかは、取引の状況によります。

この点を知らずに署名してしまうと、会社は渡したのに保証だけが残るという状態になり得ます。渡したあとに気づくと、立て直すのに時間がかかります。詳しくは事業承継で連帯保証人はどうなる?経営者保証の解除要件と相続時の扱いを弁護士が解説にまとめています。

なお、金融機関の取扱いや関連する指針は見直されることがあるため、実際に動く際には、その時点の取扱いをご確認ください。

それでも、決めるのは社長本人

年配の経営者と配偶者が自宅のテーブルで会社の将来について話し合っている様子

冒頭の一件は、最終的に合意に至ったと聞いています。止まった一週間を越えて、話は前に進みました。

そのとき支援者が具体的に何をしたのかまでは、私は聞いていません。別の地域の、別の人の支援です。ただ、止まったあとの対応で結果が変わることは、承継の現場に関わっていれば実感として分かります。

承継の支援をしていると、どうしても「まとめること」が仕事のように見えてきます。けれど本当の仕事は、社長が自分で決められる状態をつくることです。

そのために必要なのは、三つだけです。いまどの段階にいて、何がまだ決まっていないのかを正確に伝えること。迷いの中身を分けて、答えの出るものから片付けること。そして、やめる選択が残っていることを隠さないこと。

やめてもよいと分かった社長は、たいてい進みます。やめられないと感じた社長は、止まります。順番はいつもこうです。

そして、迷った社長のほうが、渡したあとが良いという印象があります。迷った分だけ、相手に伝えるべきことを伝え、社員に話す順番を考え、契約に入れるべき一行を探しているからです。

「まとめにいかない」ということ

ここは、支援する側の立ち位置の問題でもあります。報酬の仕組みによっては、成立したときにだけ報酬が入る形になっていることがあります。

その形だと、支援する側には「まとめたい」という力が働きます。社長が止まったときに、無意識に急かしてしまう理由はここにあります。悪意ではなく、構造の問題です。

だから、承継の相談先を選ぶときは、誰の側に立つ人なのかを最初に確かめておくのが安全です。買う側と売る側の間に一人で入る形と、売る側だけに付く形では、止まったときの振る舞いが変わります。

この違いは別の記事で詳しく書きました。「お相手は、もう何社かご紹介しています」——大手仲介会社の担当者が来た日に、社長が確かめるべきだったこと

弁護士が関わる意味は、話をまとめることではなく、やめる選択を残したまま進められるようにすることだと考えています。

止まった社長に対して「やめてもいいですよ」と言える立場かどうか。これが、相談先を見分けるいちばん分かりやすい目印です。

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いま、何から手をつけるか

もし、いま同じ場所で止まっている方がいるなら、やることは決めることではありません。

まず、自分がどの段階にいるのかを確かめてください。出した書面、受け取った書面を並べて、拘束力のある約束がどこに入っているのかを一つずつ見る。これは専門家に見せれば、その日に分かります。

次に、迷いを三つに分けてみてください。相手への不安、自分への問い、周りへの不安。紙に書き出すだけで、片付く順番が見えます。

そのうえで、契約に入れたい一行を考えてください。社員のこと、屋号のこと、取引先のこと。言葉にできれば、交渉の材料になります。

最後に、連絡を止めないことです。「まだ決められない」と伝えること自体が、交渉を前に進める連絡です。黙ることだけが、取り返しのつかない選択になります。

ご家族には、早めに話しておく

もう一つ、実務でよく効くことを書いておきます。ご家族、特に配偶者には早めに話しておくことです。

冒頭の一件でも、面談の場に奥様が同席していました。相手の人柄に良い印象を持ったのは、社長と奥様の両方です。この形は、進むときにも、止まるときにも強く働きます。

会社を渡したあと、生活が変わるのは社長一人ではありません。収入の形が変わり、一日の過ごし方が変わり、地域での関わり方も変わります。そこを一緒に考えている人がいるかどうかで、決断のしやすさがはっきり違います。

逆に、ご家族に伏せたまま最終の契約の直前まで進めると、ほぼ間違いなくそこで止まります。しかも、その時点での反対は、感情として出てくるので整理が難しくなります。

お子さんが県外にいて継がないと分かっている場合でも、伝えておく意味はあります。相続の見通しが変わるからです。会社の株式をどう扱うか、ご自宅や事業用の不動産をどうするかは、承継の設計と切り離せません。

会社を次に渡す話は、条件が整った日に止まります。これは例外ではなく、小さな会社では通常のことです。止まったことを失敗だと思わないでください。

熊本、八代、人吉、水俣といった県南の地域では、社長個人の信用で回っている会社、地域の中での顔と会社が一体になっている会社が多く、この迷いはいっそう重くなります。相談相手が近くにいないまま、一人で抱えてしまう方も少なくありません。

弁護士法人Si-Law・TORUTE株式会社では、熊本県内の中小企業の事業承継について、書面の段階と拘束力の整理から、契約に入れる条項の設計、従業員や取引先への伝え方の段取りまでご相談をお受けしています。まだ決めていない段階、むしろ迷っている段階こそ、ご相談のしどころです。

お話を伺うだけで費用はいただきません。LINEでもメールでも構いませんので、どうぞお気軽にお声がけください。

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